永遠平和のために
レポート作成のために読んでいるので、予備条項については本論に含まれていて関係ないものとみなし、書いていない。
第一章 国家間に永遠平和をもたらすための六項目の予備条項
- 戦争原因の排除
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- 「将来の戦争の原因を含む平和条約は、そもそも平和条約とみなしてはならない」
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- 敵対的な状態を延長しただけで、今後戦争の可能性があり平和を目指したものではないから。
- 国家を物件にすることの禁止
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- 「独立して存続している国家は、その大小を問わず、継承、交換、売却、贈与などの方法で、他の国家の所有とされてはならない」
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- 国家は土地とは異なり財産ではないから。
- 国家は人間が集まったもの。内政干渉の禁止。
- 共通の敵でない国と戦争するために自国の軍隊を他国に派遣することも同様。
- 常備軍の廃止
- 軍事国債の禁止
- 内政干渉の禁止
- 卑劣な敵対行為の禁止
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- 「いかなる国家も他の国との戦争において、将来の和平において相互の信頼を不可能にするような敵対行為をしてはならない」
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- ex. 暗殺者や毒殺者の利用、降伏條約破棄、暴動の扇動
- 「戦争とは、法に基づいて判決を下すことのできる裁判所のない自然状態において採用される悲しむべき緊急手段であり、暴力によって自分の権利を主張しようとするものである」
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- 自然状態においては、戦争の結果が正当性を示す
- 卑劣な敵対行為は戦争を増幅させるだけ。
第二章 国家間における永遠平和のための確定条項
- 自然状態の破棄
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- 自然状態は戦争状態である。敵対的行為の脅威がつねに存在する。だから、平和は「新たに創出すべきもの」
- 第一確定条項「どの国の市民的な体制も、共和的なものであること」
- 第二確定条項「国際法は自由な国家の連合に基礎を置くべきこと」
- 自然状態にある民族は、たがいに隣あって存在するだけでも、ほかの民族に外を加える。→個人が国家において権利を守られるような仕組みを作る権利がある
- ただしこれは「国際的な連合」であるべきで、「国際的な国家」であるべきではない。
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- 国家は上位のものと下位のものとで構成されている→国家が統一されると、民族間で序列に差が出る。これはおかしい。
- すべての国は少なくとも法と権利に敬意を表明しているが、これは人間にひそむ悪魔の原理を克服できることと、他者も同じように克服できることを期待できることを示す。
- 和平条約を結んだとしても常に戦争の口実を探し続けるのが常→平和連盟の重要性
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- 和平条約はひとつの戦争を集結させようとするもの、平和同盟はすべての戦争を永遠に終わらせようとするもの
- 客観的にすべての国が加盟する可能性を示せる:共和国を設立すると、平和を好む傾向により、自国とすべての他国を連合させる結合のかなめとなる。それがどんどん広まる。
- 他国との関係のもとにある国家が自然状態や戦争の支配する状態から抜け出すためには→「国家も個々の人間と同じように、法の定めに従わなければならない未開な状態における自由を放棄して、公的な強制法に服し、つねに大きくなりながら、ついには地上のすべての民族を含むようになる国債国家を設立する」
- ひとつの世界国家という積極的な理念の代用として、「消極的な理念」が必要
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- たえず拡大し続ける「持続的な連合」
- 連合が戦争を防ぎ、好戦的な傾向の流れをせきとめる。
- 第三確定条項「世界市民法は、普遍的な歓待の条件に制限されるべきこと」
- 歓待=よきもてなし。外国人が他国の土地に足を踏み入れたというだけの理由で、その国の人から敵として扱われない権利
- 外国人が主張できる権利:客人の権利、訪問の権利
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- 人は共存するしかないからこういう権利が重要
- 歓待しない国は利益を失っている、という例
感想とか
私が対比してみたいと思ったのは、いわゆる「大戦略」と呼ばれるものと、カントの提唱する永遠平和における戦争の捉え方の違いである。クラウゼヴィッツは、戦争は政治的な問題解決の手段としては欠くことのできないものと考えていたようで、以下の言葉を残している。
「戦争は政治的行為であるばかりでなく政治的手段であり、敵と味方の政治交渉の継続にすぎず、外交とは異なる手段を用いて政治交渉を遂行する行為」―クラウゼヴィッツ『戦争論』
一方でカントは、上に書いたように戦争を完全悪として捉えているようだから、その点を対比してみると、「では政治とはなにか?政治的解決とは?」という論点が出てきそうだと思ったが、授業の目的とは違うので難しいみたいだ。
「歓待」ということばがでてきていたから、「相互依存」をキーワードに、「国際公共哲学」という観点から論じることができるとレポートがひとつできそうだと感じている。